院長プロフィール

藤井 敦志

ふじい あつし

平成5年 広島県立大学 経営学部経営学科卒業
平成8年 行岡整復専門学校 卒業
平成11年 行岡鍼灸専門学校 卒業
平成16年7月 たつの市にフジイ整骨院を開院

資格

  • 柔道整復師
  • はり師
  • きゅう師
  • あんま・マッサージ・指圧師
院長 藤井敦志

My History

治療家の家に生まれて

わたしは祖父の代からの治療家の家に男3人兄弟の三男として生まれました。父は接骨院を姫路市の片田舎の自宅で開業し、わたしたち兄弟は患者さんがうちにいるのが当たり前の生活をしてきました。
子供の頃のわたしはいつも施術室の中をうろうろして遊んでいたので、未だに患者さんからは「中でちょこちょこしてた子がこんなに立派になって」なんてよく言われることがあります。

小さいころの私

子供の頃は父がどんなことをしていたのかはよくわからなかったのですが、骨が折れた人や肩がはずれた人など痛そうな人がうちに来て包帯まみれ(整復した後ということですね)になって喜んで帰ったり、治療室で楽しそうに患者さんと喋りながら仕事をしている姿を見て育ちましたので、父の仕事に対する憧れがそのときからあったのだと思います。

兄とぼく
△兄におんぶされるわたし
(兄の治療院『ふじい整骨院』はこちら>>

柔道整復師になるきっかけ

長男はすぐ後を継ぐため柔道整復師になり大阪で修行をしていましたので、わたしは後を継ぐ必要はないと思い大学に入り一般企業に入ることを望んでいました。
大学4年になり就職活動で企業の面接をいくつか受けていた時、「やりたいことはなんですか?」との質問に「人と接することが好きなので営業がしたいです」といつも答えていたことにだんだん違和感を覚えてきました。ほんとにやりたいことってそうなのかな?と自問自答を繰り返した時に自宅での光景がふと脳裏に浮かんできたのです。
『人と接することが好きって診察室の風景なんかな。やっぱりどっかでそれを望んでるのか』そうやっと気付いた時に父に接骨院をやりたいと打ち明け、柔道整復師の学校に入学することを願い出たのでした。
えらく遠回りしましたが大学時代はラグビーでの仲間ができたり、バイトをしたりいろいろな人生経験ができた4年だったので無駄であったとは思っていません。ちなみにわたしが行った大学は1年目の大学だったのでわたしは1期生。だからこのラグビー部も先輩がいないのですぐレギュラーでした。それに惹かれて入ったという理由があったりします。

大学ラグビー部集合写真
△私はどこ?後ろの中央あたりです
大学ラグビー部集合写真
△ラインアウトのボールをとる私(取られてますが)

模索した修行時代

柔道整復師の学校は大阪にありわたしは兄がお世話になった枚方市楠葉(くずは)にある柳接骨院に勤めながら学校に通うことになりました。
修行先の院長は怖いと聞かされていたわたしはめちゃめちゃドキドキして勤めはじめました。しかし実際には、院長のご子息にわたしはついて教わることが多かったので兄が言うほど厳しい環境ではなく、非常に優しく丁寧に院長一家に育てていただきました。
その院は今では接骨院には少なくなった骨折や脱臼の患者さんがまだ多く来られていて、整復や固定を見ることができたのは本当にいい経験で財産になっています。
そのままずっとお世話になっていても良かったのですが、もっと違う世界も見てみたいと思い、勤め始めて4年後の鍼灸学校に通っていた頃に依願退職し、大阪桃谷の接骨院に務めることになりました。そこで現在の治療の主流となるトリガーポイント手技と出会うことになります。筋肉を一つ一つ細かく探して押さえていくなんて、これまでのわたしの概念になかったので、院長や先輩に厳しく教えてもらいながら必死に覚え、学校を卒業して実家に戻るまで2年間そこで頑張ることができました。
いろいろな経験をし、ある程度の手技を身につけて自信をもって実家に戻ったのですが・・・。

なぜ開業したのか

姫路に戻ったわたしは違う分野も見たくなり病院でリハビリの仕事をすることにしました。そこでリハビリのノウハウを教わり接骨院では診れない症例を多く診れたことは大きな経験でした。その病院で一度医師が肩の脱臼の整復で手が足りなくなった時に、わたしが呼ばれ一発で整復したのをきっかけにその後肩の脱臼の患者さんが来られた時は呼ばれるようになりました。これもいい経験でした。でもリハビリのお手伝いでは実際に痛みのある患者さんをはじめから診ることができません。
自分で治せるには・・と思い、今度は整形外科で鍼マッサージ部門の立ち上げにわたしが入れることになりました。そこで治療家としてほぼ予約が埋まるまでになるのですが、3年が経とうとしていた頃、父が同業の方の葬式帰りの車の中で「わしが死んだらあそこの会館で葬式してくれ」とふとつぶやいたのです。『ちょっと待てよ!今もし死なれたら俺は自宅の院をすぐ継げるわけないやん!』という不安が出てきた時に、自分で開業してやってみなくては、今ならわからないことがあれば父に聞くことができるしチャンスかもと思い、開業を決意。平成16年7月たつの市で開業し現在に至るのです。

これからの自分

開業するまでの修行時代の経験や病院リハビリでの経験、鍼マッサージ中心で予約を取っていた経験をもとに開業しましたが、開業後にもいろいろな勉強会に参加し整体術などもおぼえました。これによっていろいろな視点から患者さんの体を診ることができ、症例数も増やすことができました。
自宅の院の近くということで父が提携している整形外科にも快くさせていただいたことはラッキーでした。おかげでレントゲンなどが必要な時にも即座に対応できるようになっています。
いろいろな経験をしてきましたが、私の原点は自宅の風景にあります。患者さんがみんな笑顔でなんとなく和やかな風景がいつもそこにはありました。患者さんの心と体を豊かにし、健康に対する意識を変えていただき前向きな生活を送っていただくことがわたしの理念となっています。

また、わたしは40歳からマラソンをはじめました。マラソンは体のバランスが少しでも狂っただけでもどこかに障害が出てきます。どこが狂っているのかはなかなか自分ではわからないもので、同業の先生に診ていただきバランスも調整してもらって臨んだ大会で自己ベストを更新することができ、この上ない喜びを味わうことができました。
これまで10年以上患者さんを診てきましたが、体全体をみてバランスを調整するという考え方は時間的にも許されなかったのであまりできませんでした。自分がこの経験をしたことで患者さんにもこの喜びを味わってもらいたいと思い、今ではメニューの中に痛みの原因を探るバランス調整も取り入れるようになりました。
まだ今後も患者さんのためになるようさまざまな勉強をし自分に取り入れていきたいと思っています。自分の治療の完成系はまだまだ先にあるかもしれませんが、今の自分にできることを一所懸命考えて施術を行いたいと思います。

(柔道整復師・鍼灸師・あんまマッサージ指圧師 藤井敦志 監修)


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